産業能率大学 スポーツマネジメント研究所

2009年3月

地域ネットワーク全国会議に参加しました。

 国立スポーツ科学センターが主催する 地域ネットワーク全国会議(2009/3/23-3/24)に、本学情報マネジメント学部 教授で、スポーツマネジメント研究所 研究員である渡辺隆嗣教授が参加しました。

 「大学とプロスポーツチームの協同による人材育成」をテーマとした講演で、主に情報マネジメント学部 スポーツマネジメントコースで開講の授業を例に、湘南ベルマーレとの提携、横浜ベイスターズとの協力関係によるスポーツマネジメント分野の科目開発等、本学の取組みについて解説しました。

 当日は大学に限らず、県や市といった地域等、スポーツの分野に関連した様々な取組みについて
講演が行なわれ、スポーツに関する幅広い有益な情報が集まる場として貴重な機会となりました。国立スポーツ科学センターホームページ、地域ネットワーク全国会議のプログラムは以下URLを参照下さい。


■国立スポーツ科学センター
http://www.jiss.naash.go.jp/

■平成20年度 地域ネットワーク全国会議
http://www.japan-sports.or.jp/local/news/uploadFiles/20090303171938_4.pdf

 


日本のビーチバレーが今後進む道

湘南ベルマーレ・ビーチバレーチームGM
産業能率大学ビーチバレー部ヘッドコーチ  川合 庶

 

日本でビーチバレーがスタートしてから四半世紀がたとうとしている。

スタート当初の日本のビーチバレーは、当時人気が絶頂だった6人制バレーの選手たちが年に一度のファンサービスで行うお祭り的な行事だった。

特に1987年に初めて開催された第1回ビーチバレージャパンは、4,000人が収容できる仮設スタンドがコートの四方で囲み、それでも入場しきれないファンが長蛇の列を作り、結局1日2回の入れ替えを行って12,000人の観客が連日会場に訪れ賑わいを見せた。

皮肉にもその記念すべき第1回大会を四半世紀たった現在でも追い越すことができていない。

そんなビーチバレーの最初の転機は、1990年に第1回ビーチバレージャパンで優勝し、当時の全日本のキャプテンも勤めていた、川合俊一が27歳の若さでプロビーチバレー選手に転向し、ロスアンゼルスに拠点をおいてアメリカのプロツアーに参戦したことだ。

当時の日本ではビーチバレー自体全く認知されていなかったが、人気・実力的にも日本のトップクラスだった選手がビーチバレーに転向したことで世間の注目を集めた。

 


スポーツメーカーのスポーツビジネス

 今回は、「「スポーツ」でビジネス・職をなす」と題し、株式会社カレッジリーグの長田氏に講義をして頂いた。長田氏はイタリアスポーツメーカー「A-LINE」の日本総代理店として、サッカーユニフォームをはじめとした各種スポーツウェアの企画・製造・販売を展開されている。また、サッカー元日本代表の前園真聖氏の韓国Kリーグ移籍時の代理人を務めた経歴を持たれている。

 

スポーツビジネスは幅が広いスポーツビジネス実践講座A

 スポーツビジネスは、既存の産業にスポーツ的要素を付け加えて成立しているので、様々な分野からの参入が可能となってくる。例えば、スポーツに余暇や旅行的要素を加えるとスポーツイベント会社に、また、スポーツと指導を組み合わせるとスポーツスクールになるといった具合だ。

 スポーツアパレル業とは

 それでは、スポーツとウェアの組合せから成るスポーツアパレルはどのようなビジネスモデルとなっているのであろうか。

 スポーツウェアを開発・製造・販売するスポーツメーカーは、直営・オリジナルブランド型とライセンスブランド型の2種類に大別できる。直営・オリジナルブランド型とは、直営オリジナルブランドのオーナー企業が、直営型として統一ブランディングをもって展開しているメーカーをいう。NIKEやadidas、PUMAがその代表的な企業である。一方、ライセンスブランド型とは、海外に存在する「スポーツブランド」の権利を取得して、限られた地域(例えば日本・アジア)の総代理店として展開しているメーカーをいう。「A-LINE」はイタリアのスポーツメーカーであるが、弊社((株)カレッジリーグ)が日本代理店としてのライセンスを取得して展開している。その他の例として、lotto(イタリア)は兼松繊維株式会社と、Hummel(ドイツ)はSSKスポーツと、le coq sportif(フランス)はデサントとライセンス契約を結んでいる。

 最近ではフットサルブランドに、デザイナー主導によるファッション性を重視したプライベートブランドが登場し注目を集めている。gol.、Dal Ponte、svolmeなどがその例である。

 


プロバスケットボールビジネス 東京アパッチ

 第7回目をむかえた『スポーツビジネス実践講座A』では、株式会社東京バスケットボール・プロモーション 代表取締役CEOである斉木学氏をお招きし、プロバスケットボールビジネスについてお話を伺いました。  スポーツビジネス実践講座A

 斉木氏が代表取締役CEOを務めている株式会社東京バスケットボール・プロモーションは、日本で初めてのプロバスケットボールリーグであるbjリーグに所属する、東京アパッチの運営を手がけられています。

 プロスポーツチームを運営する際、収入源にとして欠かせないのがスポンサーですが、スポンサーの事情一つでチームが存続出来なくなる可能性が十分にあるビジネスモデルと言えるでしょう。斉木氏は、「スポーツについても普通のビジネスと同じように、サービスや商品を提供し、その結果収益を上げるモデルのもとに展開していけるのでは」と、東京アパッチのビジネスモデルについてお話頂きました。

 収入源については、スポンサーの他に、試合の入場料やファンクラブ等挙げられますが、試合一つを見ても入場料やチケット代の他に、チームグッズの販売やフード販売、そして会場内で実施しているサービス等、試合を通じて収益を上げるポイントが沢山あります。そして、そのポイントを的確に抑えるために何を行えば良いのか、そしてブースターと呼ばれるファンを離さない為に何をすべきなのかについて、東京アパッチが展開しているビジネスモデルの内容を、東京アパッチの毎試合の損益値を元に解説頂きました。「ファングッズを作るとしたら?」という斎木氏からの課題に、試合を見に来る人はどんな人達なのか、どうやって収益を上げれば良いのか等、学生も大変興味を示している様子でした。

 


ビーチバレー 普及に向けた取組み

 『スポーツビジネス実践講座A』では4人目の外部講師として、日本ビーチバレー連盟 川合庶氏を向かえ、ビーチバレーの歴史と将来への取組みについてお話を伺いました。

 

 北京オリンピックでは男女共に日本代表選手が出場し、国内では浅尾美和選手がメディアで注目される等、日本国内でもある程度認知されてきたビーチバレー。日本ではまだ普及と発展が見込まれる、新しいスポーツと言われているビーチバレーですが、誕生したのは1920年代。授業冒頭、川合氏はビーチバレーの競技としての歴史について説明頂きました。

スポーツビジネス実践講座A.jpg
 1890年代、サッカーやラグビー等、様々なスポーツが競技として確立する中、女性や子供が安心して参加できる競技として、バレーボールが誕生しました。そして、サーフィンが盛んなアメリカ・ロサンゼルスで、波の無いときに砂浜で出来るスポーツとして1920年代前半にビーチバレーが誕生。同時期に、フランスのヌーディストビーチでレクリエーションとして親しまれ、1920年代後半にはヨーロッパ全体に広まりを見せました。1930年代に入り現在のダブルス(2人対2人)の競技として確立したといい、それまではビーチバレーをしに集まった人数を二つに分けてプレイをしていたそうです。その後、1948年にロサンゼルスで大会が開催されて以降、美人コンテストや水着コンテスト等、イベント的要素を持ち合わせながら、アメリカ国内で様々な大会が実施されます。その後、1983年にはプロ選手による組織、AVP(Association of Volleyball Professionals)が設立。1987年には世界バレーボール連盟(FIVB)がブラジルのリオデジャネイロで初の世界大会を実施し、年間を通したツアーが本格的に開催され、スポーツとしてのビーチバレーが定着を見せ始めました。そして、1992年のバルセロナオリンピックから公開競技として採用され、4年後のアトランタオリンピックから正式種目として開催されています。