ビーチバレー 普及に向けた取組み
『スポーツビジネス実践講座A』では4人目の外部講師として、日本ビーチバレー連盟 川合庶氏を向かえ、ビーチバレーの歴史と将来への取組みについてお話を伺いました。
北京オリンピックでは男女共に日本代表選手が出場し、国内では浅尾美和選手がメディアで注目される等、日本国内でもある程度認知されてきたビーチバレー。日本ではまだ普及と発展が見込まれる、新しいスポーツと言われているビーチバレーですが、誕生したのは1920年代。授業冒頭、川合氏はビーチバレーの競技としての歴史について説明頂きました。
1890年代、サッカーやラグビー等、様々なスポーツが競技として確立する中、女性や子供が安心して参加できる競技として、バレーボールが誕生しました。そして、サーフィンが盛んなアメリカ・ロサンゼルスで、波の無いときに砂浜で出来るスポーツとして1920年代前半にビーチバレーが誕生。同時期に、フランスのヌーディストビーチでレクリエーションとして親しまれ、1920年代後半にはヨーロッパ全体に広まりを見せました。1930年代に入り現在のダブルス(2人対2人)の競技として確立したといい、それまではビーチバレーをしに集まった人数を二つに分けてプレイをしていたそうです。その後、1948年にロサンゼルスで大会が開催されて以降、美人コンテストや水着コンテスト等、イベント的要素を持ち合わせながら、アメリカ国内で様々な大会が実施されます。その後、1983年にはプロ選手による組織、AVP(Association of Volleyball Professionals)が設立。1987年には世界バレーボール連盟(FIVB)がブラジルのリオデジャネイロで初の世界大会を実施し、年間を通したツアーが本格的に開催され、スポーツとしてのビーチバレーが定着を見せ始めました。そして、1992年のバルセロナオリンピックから公開競技として採用され、4年後のアトランタオリンピックから正式種目として開催されています。
1987年にリオデジャネイロで開催された世界大会は、当時FIVB副会長であった松平康隆氏の尽力が開催のきっかけになったそうです。そして、日本におけるビーチバレーのスタートは、世界大会が行われた1987年に開催された、第1回ビーチバレージャパン。川合氏は、当時6人制バレーから転向した兄である川合俊一氏と共に、ビーチバレーの先駆けとなって今日まで普及活動を行われてきました。
活動当初は、ビーチバレーの開放的な側面がレクリエーション的と理解され、スポンサー探しに苦労した時期もあったそうですが、ビーチバレー連盟の発足、インドア選手のビーチバレー転向やプロチームの設立、そして浅尾美和選手を代表する選手の強化とメディアを利用した広報戦略を行う等、スポーツとしてビーチバレーの認知度は高まったと川合氏は言います。現在では、企業スポンサーも清涼飲料水やビール等に限らず、ビーチの環境保全に関わる企業がスポンサーに付く等、タイアップの幅も広がりがあるそうです。
ビーチバレーそのものの認知度は高まったとする川合氏はビーチバレー選手の強化・育成に力を入れていくことを次の目標としています。特に、「トップ選手やシニア選手ではなく、高校生や大学生といったジュニアの選手達の強化」には力を入れたいと、熱く語られていました。既に国内ツアーが充実しているアメリカの体制を見習うべきと、シーズンオフの時期を含めたビーチの活用を視野に入れ、日本での国内ツアー開催を目指したいと、ビーチバレーの普及と振興に向けた次のステージについて熱く語られる非常に印象的な一時間となりました。